子供の顔が輝いていないとしたら

子どもの気持になって考える力があるかどうかにかかっその翌日

我々人間は決して人間だけでは生きていけない。あらゆる生物のつながりの一つとして人間が存在するだけだ。その生き物のつながりから切り放されては人間は生きていけない。それなのに、不潔だからとか、気持ち悪いからと言って、虫やカエルなどの生き物を遠ざけて、子どもに見せないで育てていくのは危険だろう。犬や猫などは可愛いから近くにいても良いらしく、それらと触れ合っていれば、生き物に対する慈愛の心は十分に培われると思っているのだろうか?それは慈愛などと言うものではない。

愛玩動物と言われるとおり、それは単に愛着しておもちゃのように扱っているだけだ。確かに情が通ってきて、そのペット死ねば悲しみもするだろう。しかし、それは本当に命のつながりを感じてのことか?違う、ただ愛着していたものが消えた喪失感だ。だから、そう言う人はいつまでも命と言うものと本気では向き合えない。どのような生き物であっても命があるのだ。

教育しおもしろくない面のあることにも触れておきたい戦後


教育を忘れた家庭

青二才の教師にこどもをまかせておかれるか、という気になるかもしれない。だからといって、こどもの前で、学校や教師の批判をしても、結果は悪くなるばかりである教育は奇蹟を期待する。理屈だけでは片付かないところがいっぱいある。教わる側で自分の先生ほどいい先生はないと思ったときのみ、奇蹟は起こってくれる。そのためにも、現代においてもオシッコをしない先生がもっとたくさんいてほしいように思うのである。

子どもの成長にしたがって

ニュース恐怖症滋賀県のある町で中学生グループの殺傷事件がおこった。その夜中のことだというからまさに常軌を逸している。いっしょにマージャンをやって同じ家に泊まったこの事件についての新聞報道で気になったことがある。現場を調べた警察の係官が「学校がもうすこししっかりした生徒指導をしていれば、こういう事件も防げたのではないか」とのべたように書かれている。警察はいつから評論家になったのだろうか。


育児の中で行うより仕方ないでしょう

子どもがいろいろがまんをしているようなら

中には学校の勉強は全くできずに遊んでばかりでいた子どもが、大人になって社会できちんと振る舞って要るようなこともある。それを見て、学校の勉強などしなくても良いんだと言う人もいるが、それは考えものだろう。しかし、遊びで得た体験によっては、学校の勉強がかすんでしまうくらいに大きな学びがあることもあるし、それが支えになることもあるだろう。それだけに、親は遊びというものをただの暇つぶしのようにとらえていてはいけない。遊びは学びや体験の場なのだと認識していることで、子どもが小さい時に、意図的に様々な遊びを教えようと思えるようになるだろう。

子どももいますがそのような子どもでも


幼児たちの嬉しい変化や楽しいご報告もあるでしょう

聞けば普通のことと思うかも知れないが、積み木、ブロックはさみと糊を使った簡単な工作しりとり遊び虫採り散歩中の観察などは、大人であれば特に得手不得手の関係無しに、子どもとしてやることができるだろう。少し大きくなれば、キャッチボールをしたり、模型作りをしたりもできる。お金を出して誰かに任せるのではなく、できる限り親が遊びを教えるのだ。親はいろいろと忙しくて疲れているだろう。そのために、おもちゃを与えてがちゃがちゃやらせておけば良いと言うような育て方になりがちだが、また、そのようなことをしていても学びもない。

  • 一三歳のころにいたずらをすることのできなかった子どもは
  • しつけは家庭で行なわれることを知ってもらうことから始まる
  • 育て方でお菓子が欲しいといえば